胎児よ
何故躍る
母親の心がわかって
おそろしいのか
みんな大好きチャカポコ小説「ドグラ・マグラ」。
日本探偵三大奇書と言われてるけど、作家が10年の歳月に渡って入魂したこの小説には何か奇怪さよりも、その熱情みたいなものを感じる。わたしみたいな凡人には、何にも理解し得ないんだけど。
この「胎児の夢」が思わず頭に浮かぶ出来事があった。
5歳と半年が過ぎた息子がお風呂で突然ぽつぽつと話し出した。
息子の一人称は彼の名前なのだけど、以下、「僕」で。
「ママのお腹の中におじいちゃんがいて、いつも僕を心配していた」
「僕が持ってきた枝をいつも杖にしててさ〜困った」
「お酒ばっかり飲んで、酔っ払ってた」
「生まれてからは見たことない」
え、何だこの話は?
まさか…胎内記憶…だというのかッ?!
わたしは知っている。
不思議なことに子供には胎内記憶というものがあるらしいが、およそ4歳ごろをピークに記憶が薄れていくことを。
そしてわたしはそういうロマン・かがやくエステールなことが大好きなので、息子が話ができるようになってからは何度も聞いてきた。
何なら諦めきれず、3歳の娘にもよく聞いてる。
でも息子も娘も「忘れちゃったよ〜」とか、「?(こいつ何言ってんだ?)」なリアクションばかり。
そして息子はもう胎内記憶をなくしたであろう5歳になっている。
なのでうちの子たちは胎内記憶があるタイプじゃなかった、もしくはそれを親に話すタイプじゃなかったんだと勝手に思っていた。
(聞き方も重要らしいので気になる方は調べて)
息子がいきなり何の前触れもなくそんな話をしだして、創作かもしれないけど、ちょっとびっくりで嬉しいことだった。
わたしが何度も胎内記憶について聞いてくるもんだから、それを息子がもし気を遣って今回の話を作り上げたとしたら、それもそれで前述のドグラ・マグラの「母親の心がわかって」に通じてちょっとヒュッとしたのだ。